懐かしい写真が出て来たのでこの頃の生活省みました。
サーフボード業界もまだ分業化され無い頃、製品を世に送り出す迄、先ず海外とライセンス契約、意匠登録、企画、開発。
それから生地の手配、織物屋、染め屋、刺繍屋、縫製工場。帽子屋、靴屋…とにかくバックル、ピアス、指輪迄オリジナルで作って居たので駆けずり回り手配。今の様に少量でオリジナル出来る時代で無いのである程度のロットまとめないと作れない。出来上がると広告、これも草案から版下迄手作り、営業
に全国駆け巡り…そうこうしてるうちにテッドさんはウィンドサーフィンのめり込み、後から後から流行りそうな物に手を付ける…お金は火の車の追いかけっこ。
そう、この看板も糸鋸で木を切り出し自分で作った物。
その上、従業員は地元で確保できなかったので、みんな寮生活、夜になると飯炊きおばさん!
加えて三人の子育て!!!!!
なんだかそんな生活懐かしいな!若かったからですね。
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